兄弟で浜松医科大学に現役合格した杉本家。お母様に、子どもたちとどう関わってきたのかを伺いました。

(以下、敬称略)

医師になることを希望するようになったのは?

杉本:兄は身体が弱かったのですが、そのおかげで憧れの医師に出会うことができたんです。小学校1年生から「ぼくも、あんな医師になりたい」と言い続けていましたから。弟は、なんとなく言っていたような感じでした。ただ、子育ての期間はずっと不景気で、社会の厳しさを実感していたので、子どもたちには「18歳までは、お父さんとお母さんが全力で応援する。18歳になったら社会に出ることになるので、その時には資格を取って、手に職をつけて、不景気でも生きていけるようになりなさい」と伝えていました。そこで、子どもたちなりに考えたんだと思うんです。弟は工藤先生に「君なら医師になれるよ!」とそそのかされたりもしていましたが(笑)。

最終的に医師を希望することについて、どう受け止めたのでしょうか?

杉本:兄のときは、他の職業もあるよ、といろいろ見せたりもしたのですが、医師以外はどうもぴんとこなかったようなんです。実際私たち夫婦も、小さい頃からずっと医師になりたいと聞いていたので、医師以外を目指す兄は想像できませんでした。ですから、高校2年生で最終的な意思確認をしたときも、まあそうだよね、という感じでした。
工藤:弟さんは、最初は医師志望ではありませんでした。
杉本:「お兄ちゃんが言っているから、そう言っているのかな」と、少し半信半疑なところはありました。でも、医学部を目指して勉強していれば、将来気が変わったとしても、進路変更は比較的楽だろうから、まあいいか、というくらいの受け止め方です。でも、弟が医師への思いを強くする出来事が2つあったんです。浜松医科大学の教授の方の講演を聴きに行ったことと、ボランティアで障害のある方々と触れ合ったことです。「障害のある方々って、今まで自分が思っていたのと違い、できることがたくさんあるんだ」と知って、そういった方々を支援していける仕事っていいなあと思い始めたようです。その後、「児童精神科医になる」と言い出しました。社会で活躍する人を増やしたいと。話している内容が具体的になってきたので、本気なんだなと思いました。

本格的に医学部受験の勉強を始める中で、工藤塾に出会ったんですね。

杉本:うちは医師の家庭ではないですし、医学部に合格するのは並大抵のことではないと、何となくは分かっていました。ところが、医学部受験は全国の受験生と競わないといけないのに、静岡には医学部を目指せる予備校がなかったんです。それに、せっかく医師を目指して3年間勉強するのだったら、一流の先生に教わりたいという思いもありました。なので、この科目はどこそこの何先生がいいらしい、といったことまで調べたのですが、学校生活を送りながら、あちこちの塾に行くのは無理があります。そんな中、主人が工藤塾の情報を調べて来てくれたんです。最初の面談のときは、「入塾を許可してもらえるだろうか」と、とても緊張したのを覚えています。
工藤:「この科目はどんな先生がどうやって教えますか?」「小論文ではどんな指導をされていますか?」など、質問が鋭かった思い出があります(笑)。
杉本:そうでしたか?(笑)。でも、大事な3年間に何をどう勉強すればいいかも分からなかったですし、いろいろ情報に飢えていたんだと思います。

実際に通ってみていかがでしたか?

杉本:兄は毎日「もー大変だよー」と言っていました(笑)。それが、嫌そうではなくて、ちょっとうれしそうな言い方だったんです。理解力に応じて、どんどん進めて行けるのが良かったんだと思います。
工藤:初めてお兄さんに会ったときには高校1年生。「医師になりたいので、方法を教えてください」と言われ、本気度が伝わってきました。


杉本:そうは言っても、医学部受験の難しさは分かっていたので、受験学年のときは受かるかどうか不安でたまらなかったです。周囲に医学部に合格した人もおらず、工藤先生との面談でも、ため息ばかりついていたような記憶があります。でも、工藤先生が「大丈夫ですよ」と言ってくれて。本人も本当にがんばっていました。

兄弟そろっての浜松医科大学現役合格には、お兄さんの存在が大きかったとか。

工藤:弟さんは、水も漏らさぬ戦略というのか、確実にセンターで9割を取れるような勉強ペースでした。
杉本:弟には、兄からのプレッシャーもありましたから(笑)。「いついつまでに何々をやっておくことって言ったけど、やった?」という連絡が来るんです。
工藤:お兄さんとは、工藤塾で顔を合わせるたびに「国語はやった?」「理科はどこまで進んだ?」と確認していたので、同じことを弟さんにしていたんですね(笑)。
杉本:あと、キッチンの食器棚に、兄が弟にやれと言った項目をまとめた表を張っておくんです。私も主人も、やったかどうかの確認はしていませんでした。でも可視化することで、緊張感を持てたようです。「親には何も言われないけど、やっていないとバレる」みたいな。兄は兄で、それを写真に撮って送れと(笑)。最後の方は過去問の年度と科目ごとに、点数を記入していました。
工藤:高校1〜2年生の頃は、お兄さんは浜松医科大学の模試判定でAやBを取っていましたが、弟さんはC判定でした。ただ、コツコツと努力を続ける才能がありました。これは、医師になってからもすごく役立つ才能です。
杉本:ただ、弟は器用である程度なんでもこなしてしまうところが、かえって心配でした。いつかつまずいたときに、乗り越えられるだろうかと。でも、工藤塾での受験勉強を通して、すごく成長しました。特に福屋先生の授業で、自分自身で説明するよう、繰り返し求められたのが大きかったようです。「問題の解き方も、ものの考え方も、工藤塾で変わった」と言っていました。浜松医科大学の適性試験でも、大学でどう採点してくださったのかは分かりませんが、論理的な思考が身に付いていたおかげで、自分の持っている知識を使って考えられたことが評価されたように思います。「浜松医科大学に現役合格できたのは、工藤塾の授業のおかげだよ」「工藤塾がなかったら、医学部に行けなかったと思う」と話していたので、とても感謝しています。

兄弟の医学部受験を振り返って感じていることはありますか。

杉本:兄がある大学の二次面接のときに、今までもらった賞状などをファイリングして持って行ったんです。面接官の方に「これ、どうしたの?」と聞かれたので「賞状が大きかったので、母と弟がファイルに入るように切って、父が整理して、私が入れて作りました」と答えたらしいんです。すると「家族みんなが、君が医師になることを応援してくれているんだね」「はい、そうなんです!」というやりとりになったそうです。それを聞いて、「家族のことを話してくれたんだ」と、とてもうれしい気持ちになりました。今、振り返ると、4人のうち誰が欠けていてもダメだったと思います。4人がそろっていて、みんなが2人の夢を応援していたことがよかったのかな。4人いたからこその結果です。

辛かったことはありましたか?

杉本:大変ではありましたが、辛かったという意識はなかったです。むしろ、本人たちが将来やりたいことを見つけてくれたことが、親として本当に幸せでした。

聞き手:三山 真太郎(教育情報センター)