合格者インタビュー「娘と信頼関係ができているんだと感じた」(浜松医科大学医学部 合格)
Sさん(静岡高校卒)
2020年度入試で浜松医科大学に合格。山﨑校舎長が担任を務める
担任の山﨑と共に、親子で医学部受験を振り返ってもらいました。
もともと神戸大学に通っていました。医学部受験に至った経緯を教えてください
Sさん:食べ物に興味があって農学部に通っていました。食べ物の味を作っている開発側の立場で、機能性食品等の研究をやりたかったんです。でも、大学で学んでいくうちに、作る側ではなく、食べた人の反応の方が気になり始めました。研究室を一通り見て回ったのですが、センサーや機械ばかりで、全然人が出てこないんです。人の反応が見たいのに、機械の反応ばかり見ている状況でした。それで「何か違うな」と違和感を感じました。
私は人と関わるのも好きですし、実際に人が反応しているところを見たいという気持ちがどんどん強くなっていきました。人の研究をするのであれば、農学部ではないんじゃないかと。そう悩んでいるときに、大学の医学部ボランティアで小児科病棟を訪問する機会があり、やっぱり人と関わるのはいいなと思いました。それで、医学部で人の研究をしようと考えました。
思い切った決断だったと思いますが、お母様はどう受け止めたのでしょうか
お母様:娘の性格を考えると「違う」と思ったら言い出すだろうな、とは覚悟していました。大学に残るにしろ、再度受験するにしろ、娘が選んだ道を応援しようと思っていました。本人が「したい」といって選んだのであれば、失敗したとしても納得がいくのではないでしょうか。本人の人生には本人しか責任が持てませんから。
昔から自分の意見をはっきりと言う性格だったのでしょうか
お母様:それはもう(笑)。嫌なものは「絶対に嫌」と明確でした。中学進学時にも、地元の公立中学には行きたくないとはっきりと言われました。マンモス校でしたし、生徒が多い分、規律も厳しいというのが理由でした。
Sさん:先輩方から話も聞いていて、管理されるというのは、どうも私には合わないんじゃないかと考えたんです。小学校でも、自由にさせてくれる先生と、管理する先生がいて、やはり自由にさせてくれる先生の方が私には合っていると感じていました。
医学部受験を決意してから、工藤塾を選んだ理由はなんだったのでしょうか
Sさん:夏頃まで神戸に住んでいたので、静岡に戻ることを決めてから、どう勉強していくか考えました。夏の時期からだと集団授業は厳しいですし、私にとって授業を受ける必要のない科目もあったので、自習部屋を借りることも考えました。
お母様:1浪目も自習室を借りて、半分宅浪のような状況で勉強していましたから。今回も同じ方法で、というのも一つの選択肢でした。
Sさん:最終的に工藤塾に決めたのは、自習の環境がすごく整っていることと、講師が社会人のプロ講師だけだったことが理由です。今まで通った塾では、大学生の講師がいて、身近な存在ではあるのですが、少しゆるんでしまうことがありました。ですから、工藤塾では、しっかりと緊張感をもって勉強できると思ったんです。システムも含めてしっかりしているので、信頼できると感じました。
実際に通うことになり、工藤塾のことが分かってくると、清掃や印刷も含めて、環境を整えてくれる方たちがいらっしゃって、すごく気配りを感じました。しっかりとしたシステムと、それを支えてくれる方たちがいて、すごいなと思っていました。勉強するための空間として、工藤塾はすごく快適でした。
通い始めてからは、休憩していないんじゃないかと思うくらい、常に勉強していました
Sさん:夏からの受験勉強なので、自分には時間がないと自覚していましたから、そうするしかありませんでした。
お母様:通い始めてからは、すごく生き生きとしていました。朝は自分で決めた時間に家を出て、規則正しく生活していました。勉強するには、生活のリズムがしっかりとしていることが一番ですから。決まった時間に家を出て、決まった時間に帰ってきて、食事の時間もずっと一緒でした。
Sさん:全部一緒にして、余計なことを考えないように気をつけました。
センター試験当日のことを教えてください
Sさん:1日目は、今年はいけると手応えを感じました。やや不安のあった国語の現代文も読みやすかったです。2日目の数学でミスしてしましたが、何かトラブルがあるとすれば数学だなと思っていましたし、次の化学と生物は心配していなかったので、割り切ることができました。
山﨑:センター試験は、本当は、あと2〜3%取れれば計算通りだったのですが、それでも得点率85%と踏みとどまりました。あとは受験校の選択さえ間違えなければ大丈夫だろうというラインを死守しました。
2次試験は運が良かったとか
Sさん:数学の3問目がデータ系だったのですが、昨年のセンター試験のデータ問題で、数値変換の裏話みたいなのがあり、気になって調べていたんです。それがそのまま出題されました。理由付けが問題になっていて、「読んだ内容だ」と。興味を持ったら調べる習慣があるので、それが今回は生きました。
英語も幸運でした。1つ目の文章が、昨年新聞を読んでいて面白そうだなと思った高橋政代さんについての話だったんです。iPS細胞を使った目の網膜移植に取り組まれている方なのですが、自分で行動されているところが面白そうだと思って調べたことがあったので、すごく読みやすかったです。
英作文に関しても、最近、総合大学系の出題が増えているなと感じていて、準備していなかった出題形式に対してどうやって書くかという対策をしていました。英作文は篠原先生に添削してもらっていたのですが、すぐに対応していただき、すごく助かりました。英作文の内容だけでなく、それにまつわる話もしてくださいました。本当になんでも知っていて、知識の範囲がすごく広くて驚きました。
生物も、記述が全部解いたことがある問題ばかりだったんです。他大学の面白そうな問題を拾って解いていたら、それがそのまま出題されたりとか。いろいろと興味をもってやっていたことが、入試に繋がりました。
ただ、解けるとは言っても、化学と生物の2科目を120分で解かなければいけないので、化学の計算とか時間がかかると思った問題は飛ばして、多少の空白があっても仕方がないと割り切りました。問題の易化もあったのですが、解ける問題をちゃんと埋めることができたのが、良かったです。やり切ることができました。
山﨑:面接でも強運っぷりを発揮したんですよね。
Sさん:はい。面接の順番が最後だったのですが、私としてはすごく良いことだと捉えていました。最後なので、何かしらの印象には残るだろうと。面接自体も、最初から和やかな雰囲気でした。自己PRからスタートだったのもすごく良かったです。一度大学に行っていることや、他分野の研究をしたことなど、他の生徒とは違う印象を伝えられたかなと感じています。
山﨑:面接対策でも自己PRをしてもらいましたが、すごく好印象でしたから、心配はしていませんでしたよ。
そして、合格発表の日を迎えます
山﨑:確認するときは、塾から出ていきましたね。
Sさん:他の人がいる前で確認するのは無理だなと思って(笑)。近くの公園で確認したのですが、合格だと分かって、本当に飛び上がりました。うれしいと言うよりは、開放されたという感覚が大きかったです。
すぐにお母様に連絡していました
お母様:合格したと聞いたときには、現実味がなくて、あとからじわじわと実感するような感覚でした。それまでは、きっと号泣するんだろうなと思っていたのですが、いやいや、現実はじわじわとでした。
医学部受験に関しては、私が後押ししたことで、逆に辛い思いをさせていないかなという不安もありました。悪者になってでも止めた方が良かったんじゃないかと、最後まで葛藤がありました。大学受験はこれが最後なので、今年合格をつかんでくれて、本当に良かったです。
担任から見て、どんな生徒さんでしたか
山﨑:最初に驚いたのは、授業料を自分の貯金から払うと言われたことです。そこまで覚悟が決まっていると、「任せてください」としか言えないですよね(笑)。ただ、任せてくださいとは言ったものの、やるのは本人です。それこそ、規則正しく、毎日9時前から21時過ぎまで塾で勉強していました。これなら大丈夫だろうというくらいの成績を、模試で取り続けていましたから、合格する可能性は高いと考えていました。
心配があるとしたら、精神的な面かなと思っていました。個別指導で入塾されたので、なかなか人と話す機会がありませんので、気付いたら話しかけるようにしていました。浪人生はどうしても人と話すことが少なくなるので、それが集中するという良い方向に出ればいいのですが、殻に閉じこもって不安を増大させるのが怖いと考えていました。
ですが、Sさんは、自習室にいて、本当にずっと勉強していたので、ちょっと話しかけるのをためらうような雰囲気だったんですよね(苦笑)。「今は話しかけない方がいいかな・・・」と。話しかけたら話しかけたで、嫌な顔もせず、ちゃんと話してくれるんですけどね。ある意味、手のかからない生徒さんでした(笑)。
ただ、後期を見据えて勉強している間は、やはり落ち着かない様子でした。前期に手応えを感じていたので、なおさらですよね。ですから、ひたすらなぐさめる日々でした(笑)。大丈夫だからと。
お母様:娘経由でその話は聞いていました。親としても、なんて声かけしていいか分からず、不安だったので、とても感謝しています。
山﨑先生は、どんな担任でしたか?
Sさん:ひたすら安心でしたね。今までいろいろな生徒さんを見てきている経験があった上で、私の成績やいろいろなことに対してコメントしてくれました。たくさんの医学部受験生を見てきた山﨑さんの言葉だから大丈夫だろうと思うことができました。
お母様:センター試験後、どの大学に出願しようかと迷っているときに、娘が「山﨑さんと相談して決める」とはっきり言っていました。あ、親は要らないんだと(笑)。娘と信頼関係ができているんだと感じました。浜松医科大学に決めたときに、山﨑さんからご連絡をいただいたのですが、「もし、これでダメだったら、私のせいにすればいい」とまで言ってくださいました。
Sさん:もう1校と悩んでいたのですが、山﨑さんが最後に後押ししてくれました。今まで経験してきた受験相談は、データよりも精神論に寄りがちだったんです。でも、工藤塾では、私の成績をちゃんと踏まえたうえで、確実性の高い提案をしてくれているなと感じました。あとから振り返ってみても、浜松医科大学は地元ですし、選んで良かったと思っています。